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daybreak
New Album "daybreak" 2017/4/30 release


ミュージカルに感じる歌と演奏

友人に誘われてミュージカル(映画ではなくて舞台)を観て来ました。久しぶりに三時間の舞台をびっちり観るといろいろと感じることがあります。大学のサークルで四年間ミュージカルに関わってきたわけですが、純粋に客側の目線に立ってみて思ったことを二点ほど。

ミュージカルは突然歌になるのが苦手という人が多くいます。僕自身サークルにいるときはその突然さを疑問に思っていて、自分が作るとしたらその連携をどうシームレスにするかということばかり考えていたのですが、最近は少し目線が変わってきました。ミュージカルは芝居と歌がミックスされたものですから、どう作っても突然さは無くなりません。と言うより「いきなり歌にするか」「芝居からシームレスにつなげるか」というのはその都度選択されている演出の意図なわけです。突然歌になるのはミュージカルの特性であるということを認めないと、どの歌も素直に受け止められず観ていて残念なことになるので、そこは認めた上で「今のシーンはつながりが良かった」とか「ちょっと唐突だった」とか漠然と考えながら観るのが自然な形ではないかと思います。
あとは舞台という特性上、ポップスなどの歌物とは根本的に違ったアプローチで歌詞が書かれています。物語全体の流れに沿うことはもちろん、舞台で少しでもお客さんに意味の通りやすい言葉を選んだり、目まぐるしく入れ替わるキャストに歌を割り振ったりしなくてはなりません。なのでポップスと同じような歌詞を期待して聴いていると表現がストレートすぎたり、あざとかったり…などと感じられることがあるかもしれません。とかく舞台ではストーリーが伝わらないと意味がないので、歌詞に含みを持たせて奥ゆかしく見せたりという方向は優先度が低いです。セリフに関しても同様に伝わりやすさが重視されるので、映画やドラマに比べるとストレートな演技が多くなるわけです。ミュージカル映画を観るときも、元々は舞台だったということを考慮して観ないとこの辺りで齟齬が生じます。もしかしたらミュージカルの歌が苦手と言うより、実はこういった舞台用の芝居が苦手という人が意外に多いのかもしれません

演奏

芝居に合わせてオケピ(舞台下や舞台裏などの演奏スペース)で伴奏がなされるわけですが、ここにいる演奏者は実はそんなに多くないです。今日の例だと指揮者にピアノ、ベース、ヴァイオリンにシンセサイザー二台、リード(サックスやクラリネットなど)に至っては一人が持ち替えで全て演奏していました。ミュージカル『オケピ!』で「プロデューサーがお金をケチって演奏者がどんどん減らされて…」みたいな話が描かれていましたが、この辺りは満更誇張でもない気がします。しかしそこまでして生演奏にする価値があるのかと言うと…実はそんなに無いのではないか?と最近思えてきました。いやもちろん生演奏のアンビエンスは重要なんですけど…実際の現場では演奏はマイクで拾われて、PA卓でミックスされた後ステージ脇のスピーカーから大音量で鳴らされます。リードの息遣いのアンビエンスなどもシンセの大音量がミックスされることで失われてしまったり。さすがにヴァイオリンは生音が活きてるな、と思いますけど…こんなにアンビエンスが消えてしまうんなら打ち込みとか事前にスタジオ録音した方が良質になるのでは?と思ってしまうのです。
おそらく現場では何度も曲に修正が加えられるために、打ち込みや録音では運用が利かないという事情があるんでしょうけど…ミュージカルでは開演前にオケピから指揮者が挨拶をするという慣例があるので*1、そうやって明らかに生演奏ということを伝えられた上で生っぽくないサウンドを提供されるのは惜しい気がしてしまうのです。この辺りはポップスのライブとかにあまり行かない自分がPAサウンドに慣れてない面も大きいのでしょうけど…「良い音が聴きたいならライブより映像(あるいはCD)」という定説を認めた上で、それでもせっかく生の演技・演奏が繰り広げられているライブや舞台をもう少し良い音で聴きたい…と思ってしまう自分が居るのでした。編曲・音響・席の都合などが複雑に絡むので一概には括れなさそうですけどね。

*1:ちなみにオケピが舞台裏などの見えない位置にある場合、終演後のカーテンコールで初めて演奏者が見えて「生演奏だったんだ…」と気づいてしまうのも同じくらい残念